LEDハロウィンパーティの歴史
ごくごく簡単ながら、過去のLEDのハロウィンパーティについて、ご紹介致します。
2009年ハロウィンパーティ 全てはここから始まった
当時はLED結成直後ということもあって、代表うたまんの、一人暮らしのマンションの一室で、行われました。
当然単なるホームパーティであり、参加者も7人と少数。
しかしながら、ハロウィン大好きな嫁(当時はまだ代表の彼女)のゆうかりんによって、参加者みんな各々コスプレという、なかなかクオリティの高いものになっていたりしました。
初のハロウィン『パーティ』、しかし開催は昼、そして日曜!
翌年の2010年、初めて本格的なハロウィンパーティを開催しようということで、LUAU アロハテーブルという場所で、今とは状況の全然違う、日曜昼にパーティを開催しました。
2010年は10月31日が日曜であり、ハロウィン当日にパーティを!ということに拘った次第でした。
参加者は60人と、今からしても大人数の参加者が集まったものの、まだまだパーティに不慣れだったLEDでは、それなりの盛り上がりのパーティとなってしまいました。
とはいえ、これを切っ掛けにLEDの常連になる参加者も多く、一つの転機だったと言えるでしょう
そして2011年、初の「ぶりこ」へ
そうしてやってきた2011年、ハロウィンパーティを大幅に見直そうと、会場も大須のぶりこへ変更となります。
一般参加者を多く募ろうというコンセプトがうまく行かず、結果的に参加者の人数を42人まで落としてしまいます。
しかしその半面、仲の良いLED常連が集まったこともあり、突発的に行われた「女々しくて」のダンスや、マニアックなゲーム、そしてフリータイムでのコスプレ撮影が大盛り上がりとなりました
以降、この年のハロウィンを改良していくという、基本の形が出来上がった年と言えるでしょう。
続く2012年、ハロウィンパーティは定着へ
そして通算、パーティとしては3度目となるハロウィン、参加者の数も52人と持ち直し、盛り上がりを見せます。
中身に関しても、ダンスの出し物が2グループと、かなり濃い反面、フリータイムの少なさが、問題となりました。
しかし、既にLEDの年中行事として定着した感のあったハロウィンは、終了と同時に来年へ向けて、改良が進みます。
「死ぬならハロウィンの最中」名言飛び出す2013年
ハロウィンパーティを盛り上げようと、一番尽力しているゆうかりんから、そんな言葉が出てきた2013年、ついに初年度の参加人数を超えて、62人となります。
更に、準備期間すら楽しむようになり、出し物にも異常に力を入れ始め、LEDになくてはならない、代表的なイベントとなりました。
ハロウィンパーティは、2013年で一つの完成形となった、という発言は間違いではないでしょう。
最高を超えた、2014年
去年が素晴らしかっただけに、それを超えるのは難しいのでは、と思われた2014年、参加者は68人となり、過去最高なのはもちろん、当日のキャンセルゼロという、快挙を成し遂げました。
更にコスプレ参加者は多数を極め、コスプレ大賞は熾烈な争いに、オープニングのダンスはヲタ芸を題材に盛り上がり、ゲームはチーム制にして大盛り上がりと、かつての反省を活かして、完成形を超える形になったのです。
そして迎える、2015年
パーティとしては、6度目を迎える、LEDのハロウィンパーティ。
今年は、2011年から去年まで、散々お世話になった、ぶりこという会場を変更し、更なる「Something New」に挑みます。
より良いものにできるのか、スタッフメンバーですら緊張していますが、それすらも楽しみ、自らも楽しみ、参加してくれるみなさんも楽しめる、そんなパーティにしていく所存です